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防災

過去の体験を未来へつなぐ 「三河地震 vol.2」

地震の被害が大きかった理由

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倒壊した明治村東端区役所(現在の安城市東端町)碧南市教育委員会提供

「三河地震」は死者数2,000人あまりという、20世紀に日本で起きた地震のなかで6番目に多くの被害者を出しました。なぜ、被害が大きくなったのでしょうか。

・内陸直下型地震だったこと

三河地震は、人びとの生活エリアに近い位置で、地下の浅いところでおきました。そのため、地震そのもののパワーはそれほど大きくなくても、せまい範囲が猛烈にゆれました。 また、「ゆれ始めてすぐ強いゆれが来る」というのも直下型地震の特徴で、にげるよゆうはありませんでした。

・真夜中に発生したこと

三河地震が発生したのは真冬の真夜中午前3時38分で、ほとんどの人はねむっていました。そのため、多くの人が、そのまま建物の下じきになってしまいました。 さらに、脱出や救助活動も、くらやみのなかでしなければなりませんでした。

・1か月前にも大地震があったこと

三河地震発生の37日前、1944年12月7日には「東南海地震」があり、西三河も広い範囲で震度6以上のゆれにみまわれています。 このときにこわれかけていた多くの建物が、三河地震で一瞬にしてたおれてしまいました。

・戦争中におこったこと

東南海地震と三河地震がおこったとき、日本は戦争中で、しかも負けそうなけはいでした。救助や復旧工事でたよりになるわかい男の人の多くは、戦地に行っていていませんでした。また、こわれた家をなおすための木材やくぎも、足りませんでした。 一方、この地域には名古屋から戦火をさけてたくさんの子どもたちが来ていて、被害にあってしまいました。 (キャッチネットワーク発行 DVDブック「三河地震から70年」)

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