
三河地震により本堂が全壊

正林寺の本堂も、三河地震で全壊してしまいました。しかし写真では、利用できそうな材木がきれいに並べられていて、早くも再建の準備が進められているようです。
2012年、約70年ぶりに鐘の音が復活

本堂は、戦後まもない貧しい時代の1949(昭和24)年に、早くも再建されました。地元の人びとの強い思いが感じられます。
本堂とともに地震で倒れた鐘楼は、戦争で国に供出された鐘ともども2012(平成24)年に新しくなり、およそ70年ぶりに鐘の音が復活しました。
被害がとても大きかった碧海郡明治村

かつての碧海郡明治村は、三河地震の被害がとても大きかった村のひとつで、現在の安城市、碧南市、西尾市にまたがっていました。
明治村和泉地区を上から見た写真には、隣り合う建物が何軒も倒れたようすが写っています。
戦後は道路整備が進み復興

戦後は安城市内でも道路整備が進み、幅の広い道がたくさんできましたが、本龍寺前を走る通りはむかしの趣を残しています。
かつてのメインストリートはいまも、地元の人びとの大切な生活道路です。
海軍が救護や復旧を助けてくれた

明治村の東端地区を担当した区役所の被害のようす。
戦時中には、現在の安城市東端町と根崎町、和泉町にまたがって明治海軍航空基地があり、三河地震の直後も、「海軍の兵隊さん」が付近の救護や復旧を助けてくれました。
東端区役所の今

かつて東端区役所があった場所には、いまは東端町内会の建物があります。いまもむかしも、地域の中心の役割を担っています。
(キャッチネットワーク発行 DVDブック「三河地震から70年」)
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